引越し前に必ず読みたい東京街図鑑

東京の街を定量・定性で分析。 一人ひとりのライフスタイルに合った「東京」を見つけるための街ガイド

タワマンは街の敵なのか? 武蔵小山から考える

 つい先日、武蔵小山のタワーマンションをめぐって、様々な論争が巻き起こりました。

「タワマンは景観を壊す」「いやいや、タワマンこそ土地の有効活用で、環境に良い」「戸建こそ人間的な暮らし」「いやいや、1時間半かけて通勤するなんて非効率としか思えない」といった具合で、最近話題のタワマンをはじめとする住まいに対する考え方は、本当に人それぞれ。それゆえ、「悲しい」とか「あり得ない」とか感情ベースの論争になりがちです。実際「世田谷VS湾岸 どっちが良いのか?」などというテーマでtwitterとか掲示板でよく熱い議論が交わされているのを見かけたことがある方も多いでしょう。(ksrp合戦になっているのもよく見かけますね)

そして、その両者が納得する結論に至ることもほぼない。なぜなら、住環境に関する価値観はもはやロジックで説明できるものというより、その人の「感覚」に依拠する部分が大きいからです。もはや宗教が違うくらいくらいの認識で考えておいたほうがよいかもしれません。そんな住環境に関する論争ですが、今日は、特に話題になりやすい(目の敵にもされやすい)「タワーマンション」を中心とした街づくりのあり方について、3つのポイントから考えてみましょう。 

 

■目次

1.なぜ画一的なタワマンが増えるのか

そもそも、なぜこんなにタワマンが増えるのか?という理由についてですが、やはり不動産デベロッパーのビジネスモデルが「とにかく建てて、売り切って稼いでいく」というスタイルになっていることが大きいでしょう。分譲マンション事業者は常に新しい土地を探して、そこに建てて売ってはじめて儲けていくというビジネスモデルです。ポテンシャルを生かし切れていない土地があるなら、その土地を最大限有効活用して、儲けられるだけ儲けたい。株式会社だから当然といえるでしょう。

「できるだけ多く儲けたい」となるとどうするか?容積率を可能な限り大きくしたほうが、当然その土地から生み出される収益のタネは大きくなります。そして、それだけ大規模になれば賃料も上がるゆえ、マンションに入るテナントも、結果として大手のチェーン店、どこかで見かけたことのあるお店が増えてきます。(地権者で優遇されている場合は別にして、個人経営の店ではそんな高い賃料は払えないのです)

プレスリリースでは「個性あふれる にぎわいのある街づくり」なんてコンセプトが掲げられているものの、結局完成して中に入ってみると、「あれ?このテナント他でも見たことあるな・・・」と既視感に襲われたことある方、きっと多いはずです。

togetter.com

私も新卒で街づくりを軸とする鉄道会社に入社して以来、今も不動産の領域で働いているので、不動産業界の人と「好きな街ってどこ?」なんて話で盛り上がることが多いです。そんな時、よく名前があがってくるのは、武蔵小山西荻窪大井町などの大手資本が入っていない街であるケースがほとんど。個性的でエッジの効いた街を好きな人が多いのに、結局、つくっているのは、画一的な街になってしまうというジレンマが、ここにあります。

2.個性的な街は「政治的に正しくない」。センシュアスな街礼賛者に、欠けている一つの視点

さて、ここまでなぜタワマンに代表される画一的な再開発が増えるか?について簡単にお話してきましたが、もうひとつ、その理由をお伝えしましょう。それは、個性的な街は「政治的に正しくない」ことが多いからです。言い換えると、個性的な街は、高齢者や障害者、子どもを含めた、誰もが楽しめる街になっていない。

例えば、個性的な街の代表格ともいえる高円寺を想像してみましょう。私もこの街が好きで、22歳まで5年暮らしましたが、高円寺の街を歩いていると、エレベーターがない。スロープがない。階段が激しく急。そんな建物であふれています。率直に言って、車椅子に乗っている人が高円寺を楽しむことは難しいでしょう。これだけバリアフリーが叫ばれる時代でありながら、高円寺は「ある程度若くて、健康で、車椅子に乗っていない人」しか楽しめない街になってしまっている。

ここ数年、「センシュアスシティ(官能都市)」という概念が広まり、「ある種の怪しさがある、再現不可能な街の個性を持つ街こそが評価されるべき」だという考え方が一般化してきました。僕自身、街歩きを何よりの趣味とする人間として、この考え方には基本的に大賛成です。街の雰囲気という定量で表すことが難しい価値をランキング化して発表したという姿勢は素晴らしいと思っています。

しかし、その一方で、センシュアスな街は、バリアフリーから程遠く、いわゆる政治的に正しい「誰もが楽しめる街」でないことが多いことを忘れてはいけない。21世紀の今、良いか悪いかは別にして、政治的な正しさを求めざるを得ない世の中になってしまいました。新しく街をつくるなら、高齢者であっても、車椅子に乗っている障害者の方でも楽しめるものでなければならない。地震が多いこの国だからこそ、災害にも強い構造でなければならない。(いわゆる「安全・安心」というやつですね)

そんな風に、バリアフリーで安全な街を求めようとすればするほど、結果として、同じフォーマットの街ができあがってしまうのは、どうしても避けられないことなのです。学生時代は「大資本によるチェーン店中心、画一的な街づくりは最悪で、個性ある街こそ至高なのだ」という考え方で染められていた私でしたが、大学4年の時、東浩紀さんの「東京から考える」と出会って、その考え方は偏っていたのだと激しく反省したおぼえがあります。(個人的には、この本を読まずして安易に「画一的な街」批判をする人はモグリだと思っています)

郊外のロードサイド型大型商業施設化が東京のあらゆるところで進みつつあると言う。例えば六本木では、郊外の大型商業施設を使い慣れた人が六本木に遊びに来たときに安心して利用できる施設としてコンビニやファミレスがつくられる。また、かつて工場地域であった東京の湾岸部にある高層マンションには、郊外と同じ大型ショッピングセンターが併設される。このような均質化が各地で進んでいる。
   そして、このような均質化が進行する背景にはバリアフリーやセキュリティーの問題があることを指摘する。人間工学的にバリアフリーやセキュリティーを追求していくと同じような施設、道の幅にならざるを得ない。

今 これを読め『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム〜』

まさにこの通りで、高齢者や障害者の方だけに限らず、ベビーカーをせっせと押さないといけない子育て世代にとっても、画一的でフォーマット化された街のほうが安心できるケースが多いという事実は忘れてはなりません。こういう声があるからこそ、「画一的な街はダメだ」と言い切ってしまう方がよっぽど危険だと私は考えます。

3.それでも、個性的な街には価値がある

さて、ここまでなぜタワマンを中心とした画一的な街がなぜ増えているか?という背景についてお話ししてきました。私はそれでも、個性的な街には価値がある、と考えます。それは、集客という観点で、チェーン店だらけの再開発は代替可能であり、長期的に見たときに、後発の再開発案件に人を取られる可能性が高いからです。

最近、ターミナル駅などで行われている再開発を見ていると、先ほど述べた大資本の論理で、「あれ?この店、他の場所でも見たな」というテナント構成ばかりです。テナントの中に入ってしまえば、ここが新宿なのか池袋なのか渋谷なのかわからない。そんな駅ビルが多いです。

そうではなく、敢えて「〇〇にある●●に行きたい」と思わせる価値がある街をつくれるか。それこそが代替不可能な街であり、「あそこじゃなきゃダメ」という理由になるはずです。デベロッパー側もその状況に気づき、最近は、画一的でフォーマット化された再開発じゃない、街の個性を生かした案件も増えてきました。

例えば、御徒町にある「2k540」中目黒の「中目黒高架下」などは大資本による再開発でありながら、もともとある街の味をうまく残した素晴らしいプロジェクトだと感じます。

www.jrtk.jp

www.nakamegurokoukashita.jp

 「所有する土地だけのことを考え、自分たちの利益が最大化すればそれでよい」という部分最適からいかに離れられるか。そして、街全体としてどうあるべきか?という全体最適で思考するというフレームを持てるか。

外国と比べたとき、日本は土地の所有権の強すぎることも背景となって、「その土地で自分の利益が最大化できれば良い」という考え方が浸透しています。

所有権が強すぎて、少数の粘り強い人のために通り全体が廃墟のようになってしまっている場所はいくつもあります。公共の福祉や最大多数の最大幸福という観点から、強すぎる所有権を制限して、99vs1で粘っていても、まだ1の権利が保護され続けるという状況は改めるべきだと思います。

http://cpx.co.jp/article-foreign/578

この土地の所有権の強さゆえ、部分最適で自分の土地のことしか考えず、それゆえ全体で見たら謎すぎる土地の利用、というケースが多く見られるのは、非常にもったいないと感じます。

奇しくも、この記事を書いた今は東京都議会議員選挙のタイミング。都市を再構築するうえで大きな影響力を持つ東京五輪ですが、今回選んだ方々が五輪のタイミングでも議員を務めていることになります。「5年後、10年後の東京がどうあるべきか?」を考えつつ、貴重な一票を投じたいものです。